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「褐色=勝色」

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MAESHIROOKIKAZU

藍染は、染め重ねるたびに濃くなります。 日本には古くから、藍を濃く染めた深い色を「褐色=勝色」と呼ぶ文化があります。 この色は戦国時代の武士にとって縁起のいい色とされ、勝利を祈願して鎧や旗に用いられてきました。 その精神は現代にも受け継がれ、サッカー日本代表のユニフォーム「サムライブルー」の由来の一つとされています。 日本を象徴するジャパンブルー。 オキナワブルース商店の「ちゅらさんぐゎー|Deep Blue」。そのルーツである勝色を、琉球藍の褐色に重ねました。

「褐色=勝色」

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藍染は、染め重ねるたびに濃くなります。 日本には古くから、藍を濃く染めた深い色を「褐色=勝色」と呼ぶ文化があります。 この色は戦国時代の武士にとって縁起のいい色とされ、勝利を祈願して鎧や旗に用いられてきました。 その精神は現代にも受け継がれ、サッカー日本代表のユニフォーム「サムライブルー」の由来の一つとされています。 日本を象徴するジャパンブルー。 オキナワブルース商店の「ちゅらさんぐゎー|Deep Blue」。そのルーツである勝色を、琉球藍の褐色に重ねました。

ちゅらさんぐゎー|沖縄からあなたへ贈る「青の物語」

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MAESHIROOKIKAZU

沖縄には、古くから「さんぐゎー」と呼ばれる小さなお守りがあります。人々はそのひとつひとつに願いを込め、大切な人の健康や旅の安全を祈ってきました。「結ぶ」という行為には、想いを形にし、つながりを生み出す力があると信じられてきたのです。「ちゅら」は、沖縄の言葉で「美しい」という意味。この世界をつなぐ美しい海と空の青を、「藍染」で表現しました。琉球王国時代、東南アジアや中国との海洋交易を通じて伝わった染織技術。その技術は、沖縄の風土や気候に合わせ、独自の文化として発展してきました。第二次世界大戦の地上戦で、壊滅的な被害を受けながらも、先人の努力と情熱によって、今日へとつながっています。その技を受け継ぎ、沖縄県本部町の自然に育まれた藍植物を発酵させ、染織家の手仕事によって染めた糸を撚り合わせ、ひとつひとつ結びました。「ちゅらさんぐゎー」は、沖縄からあなたへ贈る「青の物語」。あなたの小さな「結び」は、この島の素晴らしい文化を未来へつなぐ、大きな「一歩」になります。旅の思い出や、大切な人への贈り物として、そっと日常に寄り添い、結ばれますように。 沖縄の強い日差しと豊かな自然の中で育まれた「琉球藍(りゅうきゅうあい)」は、かつて琉球王国の時代から人々に親しまれてきた伝統的な天然染料です。藍の葉を発酵させてつくる染液は、化学薬品を使わず自然の力のみで発色する、やさしく深い青が特徴ですす。藍染は、何度も染め重ねることで、少しずつ色が深まっていきます。日本には古くから、藍を濃く染めた深い色を「褐色=勝色」と呼ぶ文化があります。この色は戦国時代の武士にとって縁起のいい色とされ、勝利を祈願して鎧や旗に用いられてきました。その精神は現代にも受け継がれ、」サッカー日本代表のユニフォーム「サムライブルー」の由来のひとつとされています。日本を象徴するジャパンブルー。そのルーツである勝色を、琉球藍の褐色に重ねました。

ちゅらさんぐゎー|沖縄からあなたへ贈る「青の物語」

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沖縄には、古くから「さんぐゎー」と呼ばれる小さなお守りがあります。人々はそのひとつひとつに願いを込め、大切な人の健康や旅の安全を祈ってきました。「結ぶ」という行為には、想いを形にし、つながりを生み出す力があると信じられてきたのです。「ちゅら」は、沖縄の言葉で「美しい」という意味。この世界をつなぐ美しい海と空の青を、「藍染」で表現しました。琉球王国時代、東南アジアや中国との海洋交易を通じて伝わった染織技術。その技術は、沖縄の風土や気候に合わせ、独自の文化として発展してきました。第二次世界大戦の地上戦で、壊滅的な被害を受けながらも、先人の努力と情熱によって、今日へとつながっています。その技を受け継ぎ、沖縄県本部町の自然に育まれた藍植物を発酵させ、染織家の手仕事によって染めた糸を撚り合わせ、ひとつひとつ結びました。「ちゅらさんぐゎー」は、沖縄からあなたへ贈る「青の物語」。あなたの小さな「結び」は、この島の素晴らしい文化を未来へつなぐ、大きな「一歩」になります。旅の思い出や、大切な人への贈り物として、そっと日常に寄り添い、結ばれますように。 沖縄の強い日差しと豊かな自然の中で育まれた「琉球藍(りゅうきゅうあい)」は、かつて琉球王国の時代から人々に親しまれてきた伝統的な天然染料です。藍の葉を発酵させてつくる染液は、化学薬品を使わず自然の力のみで発色する、やさしく深い青が特徴ですす。藍染は、何度も染め重ねることで、少しずつ色が深まっていきます。日本には古くから、藍を濃く染めた深い色を「褐色=勝色」と呼ぶ文化があります。この色は戦国時代の武士にとって縁起のいい色とされ、勝利を祈願して鎧や旗に用いられてきました。その精神は現代にも受け継がれ、」サッカー日本代表のユニフォーム「サムライブルー」の由来のひとつとされています。日本を象徴するジャパンブルー。そのルーツである勝色を、琉球藍の褐色に重ねました。

撮影がありました。

撮影がありました。

MAESHIROOKIKAZU

2025.08.20-21A film was shot there.I am very grateful that they are able to spread the word about our Dyeing and weaving artisan and parasurfers.I am working hard every day to...

撮影がありました。

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2025.08.20-21A film was shot there.I am very grateful that they are able to spread the word about our Dyeing and weaving artisan and parasurfers.I am working hard every day to...

琉リハオープンキャンパス

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この旅、 琉球リハビリテーション学院のオープンキャンパスにて 「車椅子から見える療法士の存在」というテーマで お話しさせていただきました。 2013年1月30日に、脊髄動静脈奇形という病気が原因で 脊髄損傷による下半身麻痺、車椅子生活となった。 僅か30分、健常者から障害者へ。 あの日、ぼくの人生は、大きく変わった。 脚が動かない生活は、それまでとは全く異なるもので まだまだ慣れないことも多々あるが、その道を切り拓き 現在もパラサーフィン競技を通して 道を繋いでくれている、療法士という存在。 彼らのおかげでゼロからのスタートが1となり たくさんの小さな小さな成功体験を積み重ね、今がある。 その体験は、いろいろな場面へ派生し、挑戦の後押しをしてくれる。 Don't stop.Move into life.ー止まらずに、自分の人生へ踏み出す。ー ここ最近まで、自分に自信が持てない自分がいた。 今はというと、そうでもない。 これまでと変わったことは、自分に向き合う時間が増えたこと。 あの日、大きく変わった人生は、相変わらず糸と波に向き合っている。 まだまだやれることはたくさんありそうだ。 世界へ。  

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この旅、 琉球リハビリテーション学院のオープンキャンパスにて 「車椅子から見える療法士の存在」というテーマで お話しさせていただきました。 2013年1月30日に、脊髄動静脈奇形という病気が原因で 脊髄損傷による下半身麻痺、車椅子生活となった。 僅か30分、健常者から障害者へ。 あの日、ぼくの人生は、大きく変わった。 脚が動かない生活は、それまでとは全く異なるもので まだまだ慣れないことも多々あるが、その道を切り拓き 現在もパラサーフィン競技を通して 道を繋いでくれている、療法士という存在。 彼らのおかげでゼロからのスタートが1となり たくさんの小さな小さな成功体験を積み重ね、今がある。 その体験は、いろいろな場面へ派生し、挑戦の後押しをしてくれる。 Don't stop.Move into life.ー止まらずに、自分の人生へ踏み出す。ー ここ最近まで、自分に自信が持てない自分がいた。 今はというと、そうでもない。 これまでと変わったことは、自分に向き合う時間が増えたこと。 あの日、大きく変わった人生は、相変わらず糸と波に向き合っている。 まだまだやれることはたくさんありそうだ。 世界へ。  

ABOUT

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Nice to meet you. I'm a dyer and weaver based in Motobu Town, Okinawa Prefecture, who carries on Okinawa's indigo dyeing and textile culture. I've traveled the world, including competing...

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ニューヨークの街が教えてくれたこと

ニューヨークの街が教えてくれたこと

MAESHIROOKIKAZU

2019年11月、ニューヨーク ひたすら真っすぐな道と超高層ビル群 幾度となく写真で眺めていたあの場所にぼくはいた 染織の仕事を再開したことで目標に掲げた、個展をするためのギャラリーを探すこと 車いすユーザーとして単身でなるべく遠い場所へ行くこと この2つに挑戦するためにアートの中心地と言われているニューヨークを選んだ そしてもう一つ 日々の生活の中で、常に頭の片隅にあるモヤモヤ 迷走して動き出せない自分が嫌で、変わりたくて、それが「何か」を漠然と探していた 28日間の一人旅 初日から滞在したハーレムの宿以外はすべて現地で気の向くままに決めた ハーレムから59丁目に行くため、セントラルパークの外周を毎日往復した 慣れない道はとてもきつかった 筋肉痛になった 手に豆ができた 正直辛かった それでも、視界に入り込んでくる街の光景と 成長したいという思いが後押ししてくれた とにかく走った 強い意志を持ち訪れた、憧れの場所をより体感したかったのだ できるだけ公共交通機関を使わずに車いすを漕いだ 見知らぬ土地での頼りはfree wi-fi スポットと拙い英語、何とかなるという気持ちだけ それが良かった フラットアイアンビルに出会したり 走りづらそうな道を避けて進むとブロードウェイがあり タイムズスクエアに行き着いた 歌を口ずさみながらスラロームして軽快に下った坂の先が行き止まりで 後悔しながら引き返すこともあった...

ニューヨークの街が教えてくれたこと

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2019年11月、ニューヨーク ひたすら真っすぐな道と超高層ビル群 幾度となく写真で眺めていたあの場所にぼくはいた 染織の仕事を再開したことで目標に掲げた、個展をするためのギャラリーを探すこと 車いすユーザーとして単身でなるべく遠い場所へ行くこと この2つに挑戦するためにアートの中心地と言われているニューヨークを選んだ そしてもう一つ 日々の生活の中で、常に頭の片隅にあるモヤモヤ 迷走して動き出せない自分が嫌で、変わりたくて、それが「何か」を漠然と探していた 28日間の一人旅 初日から滞在したハーレムの宿以外はすべて現地で気の向くままに決めた ハーレムから59丁目に行くため、セントラルパークの外周を毎日往復した 慣れない道はとてもきつかった 筋肉痛になった 手に豆ができた 正直辛かった それでも、視界に入り込んでくる街の光景と 成長したいという思いが後押ししてくれた とにかく走った 強い意志を持ち訪れた、憧れの場所をより体感したかったのだ できるだけ公共交通機関を使わずに車いすを漕いだ 見知らぬ土地での頼りはfree wi-fi スポットと拙い英語、何とかなるという気持ちだけ それが良かった フラットアイアンビルに出会したり 走りづらそうな道を避けて進むとブロードウェイがあり タイムズスクエアに行き着いた 歌を口ずさみながらスラロームして軽快に下った坂の先が行き止まりで 後悔しながら引き返すこともあった...